蓼科随想⑦ 日々に濃し

「去るものは日々に疎し」というが、「日々に濃し」ということもある。
8月31日が弟宣英の、その1週間後の9月7日が西村朗の命日。同じ2023年の出来事だった。突然死ではないのでそれなりの覚悟はしていたが、なかなかに辛いことであった。弟とは74年、朗とは52年の付き合いで、それぞれに自分の中に濃い蓄積がある。それが夢の形でふいと顕れたりするし、こんなことがあったなと思い出すこともしばしばある。
僕は思い出の中に生きるタイプではさらさらなく、いつも先のことしか考えていないように自覚しているが、そんな感覚を裏切るように記憶が鮮やかに甦ることがあり、ドキッとしたり、愛おしく思ったりする。
生きているということは、様々な物語を編み続けるということ。これ亦楽しからずや。