聞こえぬ音楽

新型コロナのおかげで憂鬱きわまりない日々が続いています。暇にあかせて書庫を整理していたらかつて朝日新聞に寄稿した作文が出てきました。内容を確認したら一服の清涼剤たりうるかもしれないと思われ、ここにご紹介します。


1️⃣ 聞こえぬ音楽

 蓼科の山小屋にこもって夜ごと空を見上げていると、またたく星々が何かを語っているように思われてくる。またたきは大気の揺らぎによるものと教えられても、あるいは揺らぎがなくまたたきもないとしても、僕はやはり形を結ばぬメッセージを受け取ろうとするだろう。夜の天空はまこと神秘である。
 J.キーツは「聞こえる音楽は美しい、が、聞こえぬ音楽はもっと美しい」とうたった。あるいは荘子は音を巡って「天籟、地籟、人籟」という考えを弟子に語った。天籟もまた人間の耳には届かぬ音である。どうやら僕にも、聞こえぬ音を、音楽を聞きたいという、ついにはかなわぬ憧憬が強くあるようだ。
 言うまでもなく音楽は人間の営みである。あまりにも人間的な営み、と言った方が良いかもしれない。ベートーベンのような大作曲家ですら、ひとたび手にした楽想を丹念に磨き上げる。演奏家も、たとえ大家であれ人知れぬ努力を日々続けねばならない。
 何かが天から降ってくるのを待つというのは怠け者の弁のようではある。が、佳きものとは外からやって来、内を通って再び外へ出て行くのではないか。こんなことを念じつつ星々を眺めている時ふと、自分がまぎれもなく宇宙の一員としてここにいる、生を享受している、というまことにささやかな、けれど確かな幸福感を味わうのである。
(朝日新聞 2006年10月23日夕刊)