1977年のこと。僕が30歳を迎える夏に国際コンクールのオケ曲の作曲に取り組んでいた。7月から1ヶ月半かけて<アンラサージュ>―混声合唱と管弦楽のために―を書き上げた。
8月5日(30歳の誕生日)を過ぎて「いたずらに楽成り難し三十路かな」と詠んで朗に告げたところ(当時は電話だった)、なにやら励ましてくれた。その後頑張って20日あたりに完成。23分くらいの全5章の作品となった。コピー→ 製本(これは学部の時に朗に教わった)→ 丸の内の郵便局で主催者のスイス・ロマンド・ラジオ・テレビ局宛に発送。締め切りは8月31日だった。
その勢いを駆って9月に混声合唱曲<花>(吉原幸子詩)を書いて笹川賞に応募(入賞し、後に<幼年連祷>の第1曲となる)。
11月、チェリビダッケが初来日して読響を振ることになるが 、5日間の公開リハーサルが午前と午後に2時間ずつ、夜にも2時間の現象学の講義。凄い情熱とエネルギー❗おかげで毎日よみうりランドに通うことになった。
その3日目だったか、帰宅してビールを一杯やって10時頃、ベルがなってドアを開けると「郵便局、電報です」。何事か?!と思って慌てて中を見るとフランス語である。スイスロマンドからだ。「votre composition……grand prix 」おお、やった~‼️
さっそく朗に報告すると「そういうことがあるんだ」と目を輝かせた。
その後、朗はダラピッコラ・コンクール、エリザベート作曲コンクールに応募し、見事に賞を射止めるのであった。