共振作用

明るいニュースのない日々が続きますが、「明けない夜はない、止まない雨はない」と信じて、遅々たる歩みながら作曲と勉強(読書やら楽器の遊び弾き)に勤しんでいます。2006年の朝日新聞への寄稿文の第2回です。


2️⃣ 共振作用

 詩とは実に不思議なものである。一つ一つの単語の意味は解っているはずなのに、それが組み合わされて思いもよらぬ別な世界が立ち上がってくる。たとえば「まぼろし」も「噴水」も「ぬれる」も、いずれも平明な日常語であるけれど、これが「まぼろしの/ 噴水に/ ぬれたひとところ/ 胸のあたり」という詩句になった時、各語の組み合わせがそれまで知らなかった新たな像を結ぶ。
 ちなみに右は詩人・谷川雁と僕による連作歌集『白いうた 青いうた』(計53曲)の中の「二十歳」の冒頭の一節である。全曲を曲先行で作った。ということは、曲ができ上がった時点ではこれがどんな歌になるのかは作曲者にはわからないのである。音がどんな語を呼び込むのか、呼び込み得るのか、それを知る貴重な体験となった。
 音と言葉が一体となって歌曲ができ上がる。メロディーを作る、それを磨き上げる。ピアノを弾きながらメロディーを口ずさんだテープを作り、送る。やがて詞(詩)が届く。言葉をのせて歌ってみる。するとどうだろう。その瞬間メロディーは新たな生命体に生まれ変わり躍動し始めるのだ。音と言葉の「共振作用」といっていいだろう。
 歌はまず自分で歌ってみるもの、と僕は思っている。その歌がどれほど心の深くまで響いてくるのか、それは自らの肉体を通して確かめるのが一番なのである。
(朝日新聞 2006年10月24日夕刊)


付記:感動とはなにか、それは「対象物」と「自分全体」との共振作用から生まれる。といった意味の文を最初のエッセイ集『風を聴く 音を聴く』に記したのを思い出しました。