かつての弟子から「バッハの曲に実際の調よりフラットが一つ足りないのは何故⁉️」と質問があった。たとえばc moll なのに調号は♭が二つ。ラの♭は臨時記号で示される。Googleを引くといくつか理由が示されているが、「ま、そんなとこかな」という感じ。
自らに関していえば、
①転調してるのに調号を変えない。
②調が確定しているのに臨時記号だけで書く、ということがある。
③実例:昨日書き上げた女声合唱組曲の第1曲はf mollからc mollに転調(ここは調号を書き換えた)、エンディングは離れ業で、as moll ➡️ fes moll ➡️g mollと転調して、一瞬の間に してf mollに戻って、やがて終止。面倒なので⁉️調号はフラットが足りないままです。つまりf moll なのに調号はc moll のまま。偶然ですがバッハと同じ現象が起こっている。
一体 調性とは現象・実体なのか、思想なのか (現象にして構造、であれば一つの思想、ならば「c mollの思想」なる論文が可能か⁉️)。
たとえば電子楽器でc moll を1ヘルツずつ上げていくと、どこまでがc mollで、どこからがcis mollと我々は認識するのだろうか?
誰しも(たぶん)無調で書いていても自分の中の調性感の重力場にいるのは確かです。調性の引力はかくも強い‼️