哲学入門の試み

 哲学入門の試みを開始。NHKテキストの「100分de名著 善の研究 西田幾多郎」の著者、若松英輔氏の著述に案内されて進むことにした。
 「知と愛」、「思惟と経験」、「知識と実践」…そしてそれらの根底に「主各合一の作用」。
 なるほど、我々は事象・現象を二元的に捉えるように訓練されてきた。その方がわかりやすいからだろう。光と闇、善と悪、白と黒、右と左、上と下、吸うと吐く、…。果たしてそれらは別々のものだろうかと改めて自らに問うと、そうではないように思われてくる。たとえば光と闇とは一つの真理から生まれる、立ち顕れてくる現象なのである、と一元的に考えられるのではないか。
 明治以降の哲学用語のほとんどが極めて抽象的な漢語であり、僕のように哲学の素地の無い者にははなはだ難解である。特殊を一般化する過程でそうせざるを得ない事情があるのだろう。そこで一般化された語彙をもう一度特殊化したら分かりやすくなるに違いないと考えた。
 音楽である。たとえば「知と愛」を自分の愛して已まない楽曲を例に考えてみると、もうほとんど一直線に理解できる。全ての要素を定性的かつ定量的に分析する、弾く、暗譜する。この過程を繰り返すうちに、その楽曲は自分の奥深くに取り込まれることになる。これを「主客合一」と思うのだが、間違っているだろうか。
 だが、真・善・美を具現する音楽に西田哲学を還元するやりかたは間違っていない、と確信できる。現在はまだヨチヨチ歩きの自分。いずれ論考を深めて報告したい。

愛猫ミミ「横顔が得意!」