あるエッセイ

文春文庫『母の加護』`86年版ベスト・エッセイ集、が蓼科の本棚の隅っこに転がっているのを見つけ、寝しなにパラパラやっていたら山田洋次の名が目にとまり読んでみた。作家藤原審爾の映画の鑑識眼やアドバイスのあれこれについての内容だった。
僕がオッ!と思ったのはそのエッセイの終わりの、藤原氏の座る背後の壁に次のような書が美しい文字で書かれていた、という下り。

何よりも先ず、正しい道理の通る国にしよう、
この我等の国を
広津和郎

86年版ということは、このエッセイが書かれたのは大体84年~85年くらいだろう。昭和60年なら僕が38歳の頃。広津、藤原両氏にとって既に日本が「正しい道理の国」でなかった、と思い知らされる。僕はと言えば、「白青」や「オーケストラの日々」に突入する直前で、自分を見つめるのに精一杯だったのかもしれない。
それにしても、40年近く経った現在、ますます正しい道理なぞどこある?という国になっていることに愕然とする。僕たちは泥舟がいつ沈むのかじっと見ている、そんな存在なのだろうか。