(日曜に想う)「余白」の使い方教える教育を:朝日新聞デジタル(有料記事)
編集委員の吉田純子氏が佳き提言をされている。コンクールによる燃え尽き症候群を憂い、土日も部活をすることへの疑問を提し、余白の時間を大切になど、全く同感である。
が、この声はコンクールの金賞主義者の先生方には届かないだろう。金賞をモチベーションにして練習を引っ張る。たぶん「普通」に行われているように思う。成績発表で金賞を逃がしたと知った子どもたちが泣きだす。まったくいたたまれない光景だ。
主催側にも問題がある。審査員に出場団体に同点無しの順位を求める、金賞団体を厳しく限定する、コンクールによっては1団体のみとする。これは権威主義である。「このコンクールで金賞を取るのは大変なこと、凄い賞なのよ」と言っているのに等しい。
そもそも同位無しで全出場団体に順位を付けるのには相当な無理がある。
ではどうすれば良いのか。審査員は同点ありで採点し、順位を付けない。採点をトータルした結果、一位が2団体、三位が3団体等々、ややアバウトな結果がでる。おおらかに金賞や銀賞を振り分ける。
これで良いと僕は思う。ところが、ところがですよ、現場では(つまり各々の参加団体は)厳密に順位を付けられるのを望んでいる、というのだ。これには驚いた。一体音楽をなんだと思っているのだろうか。
ノヴァーリスの言う「芸術とは人間精神の高みに昇るためにある」と余りにかけ離れていないか。
「コンクールは自分たちの音楽を伸ばす手段、この機会にいろんな面をじっくりと掘り下げる、結果は付いてくるだけ」、そんな風に考えていただけないだろうか。
審査員はいわば必要悪、どうせ誰かがやるわけだから、僕も乞われれば出かけていく。そしてここに記したようなことを主催側を含めた皆様方に述べてくる。だが残念ながら僕の希望する方向への変化の兆しは感じられない。
ひょっとしたらコンクールに参加する皆様は厳密な順位付けが大好きなんだろうか。ちょっとオソロしいし、気味がワルい。