6月6日19時15分開演、さくらホール
プログラムは<ゆったて哀歌集>(三善晃)、<ティオの夜の旅>(木下牧子)、<生きてる>(新実徳英)、なのだが、なんと<生きてる>の前に僕のピアノ独奏曲の演奏がある。
≪ピアノのためのエチュード ―神々への問い≫の第4巻より<XI. さまよう魂は最後にどこへ行くのか?>。演奏はもちろん当日のピアニスト小田裕之さん。
さて、以下は昨夜のご報告。
休憩後、合唱団が登場するので「おや⁉️」と思ったら、皆さん定位置に着いたら、そこで腰を下ろす。小田さんが登場、着席。明かりを落としてピアニストだけにスポット。
ピアノ・エチュード第XI曲<さまよう魂は最後にどこへ行くのか>の見事な演奏。聴き応えたっぷり❗
ステージに明かりが入り、合唱団が立ち上がり、指揮者が登壇、<生きてる>のピアノの短いイントロがはじまり、合唱団が「生きてる」と歌い始める。
この瞬間の新しさ、それは未知のものだった。作曲者であり初演指揮者である僕にとってごく「親しい」ものの始まりなのに「違った顔つき」なのだ。異化作用が起こった。
それはかつて小田さんがベートーベンのピアノ・ソナタの間に僕の<風のプレリュード>を挟んで演奏してくださったことを思いださせてくれた。そこにも異化作用があった。
<生きてる>の再演、実に素晴らしく、作曲者としては溜飲が下がる思い。【松原混声+清水敬一】の実力をあらためて確認した一夜でした‼️
ちなみに小田さんは次のように選曲理由をプログラムに記してくださった。彼の独特な感性が伺えます。
速い3連符と畳み掛ける壁のような和音のモティーフが様々な音価の休符と共に聞こえてくるのが印象的。象徴的に次第に姿を現し、彷徨い、次第に消える。誰かと話しているのか、口論なのか。かと思えば平穏になったり。急に動いたり、落ち着いたり、騒いだり、姿を消してみたり。中間部では休符とモティーフのせめぎ合うようなアクロバティックな動きがあり、興奮も高まる。まるで「ワルプルギスの夜」でも見物してきたかのようだ。失った宿主の記憶を辿るかのように喜び怒り哀しみ楽しむ。その題名通り「さまよう魂は最後にはどこに行くのか?」である。そして、答えは定かではない。魂は私達を見ている。同時に私達はこの作品を自分の魂の記憶を映し出すものとして聴くのかもしれない。(魂が)「次第に消える」のは今日は、幸いにも魂が耳、肌から取り込まれたのだ。つまり「生きてる」。お聴きの皆さんのこれまでの思い出と今在ることを、次の作品とあわせて楽しんで頂けたら僭越ですが幸いです。(小田 裕之)