『出家とその弟子』(倉田百三著、新潮文庫)
親鸞61歳から90歳での大往生が描かれている。倉田百三(1891年-1943年)26歳の時の作品。自身の様々な葛藤、それらが親鸞の教えで 救われた、と勝手に想像するのだが、倉田青年の純粋な希求が真っ直ぐに伝わってきて感動的だった。親鸞はあくまでも親鸞らしく、決して教義的ではなく、常に悩む人間としてあるのも心に染みてくる。往生の時の心理描写は美しく、説得力もあり、とても26歳で書けるようなものとは思われないほどだ。
真宗は他力本願なので祈ってはいけない(祈るのは自力)と言われている。が、この作品では登場人物がたびたび祈っている。全てを阿弥陀仏にお任せするのが建前だとしても、そこに「阿弥陀仏様、何とぞよろしくお導きください」という祈る気持ちが入るのは自然なことのように思われる。
祈ることなしに人間は生きられない、と僕自身は考えているのです。