カミュ『ペスト』より
パヌルー神父の演説

「…神はあなたがたともっと長く面接することを望んでおられたのであります。…あなたがたの来ることに待ち疲れたもうた神は、災禍があなたがたを訪れるに任せ、およそ人類の歴史なるものが生まれて以来、罪ある町のことごとくに訪れたごとく、それが訪れるに任せたもうたのであります。…」

カミュ『ペスト』(新潮文庫、宮崎嶺雄/訳) p142

モデルとして存在したかもしれないパヌルー神父のようなキリスト者にカミュはこのように語らせる。もちろん、科学の発達した現在、このように考えるキリスト教国家や神父はいないだろう。が、因果関係を明らかにするのが科学の力とすれば、この度のコロナ禍、変異株の増殖は謎のままで、科学はワクチンの製造以外にまだ勝ち目がない。神の怒り故のパンデミック、と唱える者が出てきても不思議ではない、と思われる。
私は、パンデミックというものは地震や噴火や落雷のような天災の一つである、そのように考えはじめている。地震の原因をプレートのぶつかりと説明されればなるほど、であるが、だからといってそれを止めることも予想することもできない。パンデミックも同様な事象である。人間に罪があるわけでは決してない。
起こった時に、国家が、自治体がいかに素早くそれに対応するか、その能力が問われているのである。
こんな状況下にふと浮かんだ言葉がある。ゲッティスバーグでのリンカーンの演説「government of the people, by the people, for the people」である。
今一度、様々な思惑を脇に置いて、この言葉を呪文のように唱えつつ、やるべきことに向かって行けば、たとえ失敗してもその潔さはthe peopleの納得を得られに違いない。
政治とは一体誰のためにあるのか、その原点に常に帰って物事を進めていただきたく、一国民、一都民の私は願っているのです。