コロナ禍の中での楽しみ

 以下はコロナ禍でなくても行っていることで、僕にとっては日常的なエクササイズです。
 ピアノとバイオリンのお稽古(20分くらいずつ自分で決めた曲を弾き遊びする)、CD等を聴く、読書。以上はそれぞれに楽しいし、呆け防止になるだろうし、勉強にもなる。一石二鳥ならぬ三鳥。
 毎朝のウォーキングと週2回(3回が望ましいが)のテニス、どちらも健康維持、体力増強(というほどではないが)に役立っているだろう。
 運動しているから長生きできるとは全く考えていない。生き続けていられるのは運が良いだけ、というのが僕の考えで、人それぞれの寿命は神様だけがご存知。
 2019年はなぜだか仕事が重なって一年で4時間分の音楽を書いた。昨年と今年は「ぼちぼちでんな」といった気持ちでゆったりと書き進めている。仕事であるが、これも楽しみであり、生き甲斐でもある。
 決定的にできなくなったのは、頻繁に音楽会に行ったり、飲み会をやること、カルテットやトリオで遊ぶこと。つまり集まってなにかすること。これが思った以上に辛いのですね。先に記したように、たくさんの楽しみがあるのに、辛さや淋しさ、なにかしら鬱屈するものが溜まってくる。人は社会的な動物というが、あらためてナルホドです。禁を侵して飲み会をやりたくなる気持ちは良く分かる。分かり過ぎるほど(笑)。しかし我慢ですね。(『イワン・デニーソヴィッチの1日』は収容所におけるすさまじく過酷な生活を描いているが、不思議な明るさがあるのは、仲間との共闘と連帯がそこにあるからだと今ごろ気付いた。)
 でも一つだけ手があります。お出かけして飲む、人と話す、だが安全。答えは?ご想像ください。ポケット瓶とスマフォが必需品です。

 ともかく停滞しないで多少なりとも前進すること、このささやかな前進を原寸よりも大きく感じとり、そこに悦びを見出だす。そのようにやんなさい、と自らに言い聞かせて日々を送っています。
 それにしてもワクチンはいずこに?未だになんのお達しもない。東京はもとより日本中がこんな状態。6月中に全国民の二回の接種が終わるならともかく、これでオリパラとは何事か、というのが常識というものではないか。