音の「質量」

音には「質量」がある。もちろん測れるものではない。しかし、確かにある。「重み」と言い替えた方が分かりやすいだろうか。
われわれ作曲家はそのことを身に染みて知っているはずのに、書くことに夢中になって、そのことを忘れることがある。ダニエル・バレンボイムがその著作の中で「ブーレーズのような人ですら、そのことを忘れる。彼のある曲は指定のテンポでは絶対に演奏できない。音に質量があるのを忘れているのだ」といった旨の発言をしている。
因みに、僕がスコアに記す演奏時間は、必ずと言ってよいほど実際の演奏時間より短い。したがって初演の後で演奏時間を書き直すことになる。ストップウォッチ片手にスコアを追いかけるのだが、たぶん音が「滑って」いるのだ。
音楽は時間芸術だが、そもそも時間というものは目に見えないし、同じ長さの時間をさまざまに感じたりもする。僕が完璧なイン・テンポで振れないのはそのあたりのことに起因するかもしれない。いや、それは半ば自己弁護(笑)。時間は「手強い❗」。