6月第1週にやられ、再び第4週、今度は右足親指に来た。こんなことは初めてのことだが、ネットであれこれ引くと決して珍しいことではないようだ。神様の思し召しか、両足に出たことは一度もなく、無理すればウチの中ならなんとか歩ける […]
6月第1週にやられ、再び第4週、今度は右足親指に来た。こんなことは初めてのことだが、ネットであれこれ引くと決して珍しいことではないようだ。神様の思し召しか、両足に出たことは一度もなく、無理すればウチの中ならなんとか歩ける […]
1585~1672、ということはJ.S.Bachの100年前のドイツの作曲家。いまシンフォニア・サクラ集第2巻/父アブラハムよ、わたしを憐れんでください(SRCR 1989~90)を聴いている。曲と演奏の美しさが身体に染 […]
この4月25日、フォーラム21少年少女合唱団の定期演奏会を指揮して以来、昨日6月5日、自作の合唱練習に久々に立ち会いました。大久保混声合唱団による〈生命のうた〉(原詩ヒクメット)。砂漠に灼熱の鉄骨が突き刺さっているような […]
詩は宇宙の瞬間を切り取る、という見方は間違いではない。が同時にその背後には実は時間が流れている。物語がある。それゆえ詩を歌にする時、その背後に流れる時間を感知しなければならない。朗読する時間とは異なる時間の中に歌はある。
5月30日、旧奏楽堂にて歌曲コンクールの作曲部門の審査と表彰が終わり、さてオペラシティのコンポジウム2021に向かうべく山手線に乗り込んだら、田端あたりから左足薬指あたりがずきずきと痛み始めた。あっ、と気がついた時はすで […]
5月27日付け読売新聞夕刊に舩木篤也氏の評が載った。このことは新作を書いた側にも演奏した側にもありがたいことだし、内容も限られたスペースの中で的確だと思われた。氏の文章を引用しながら、しばし言葉の世界に遊んでみよう。 氏 […]